古い町並みや住宅街の片隅で、ぽつんと建っている白い蔵を見かけることがあります。
分厚い白壁に、黒い瓦屋根。窓は驚くほど小さく、入り口には重そうな扉がついている。周囲の家とは、どこか違う存在感を放っています。
あれは「土蔵(どぞう)」と呼ばれる建物です。
窓はもっと大きくできたはずです。扉だって、軽い方が使いやすい。それなのに、なぜこれほど厳重な造りにしたのでしょうか。
その答えは、昔の人々が何より恐れた「火事」にあります。
泥を塗り重ねてつくった「燃えない部屋」
木造の家々が立ち並んでいた江戸の町では、ひとたび大きな火事が起これば、家も商売道具も財産も、まとめて失いかねませんでした。
そこで人々は、家とは別に、火に強い建物をつくりました。それが土蔵です。
その造り方は、実に手間のかかるものでした。
まず木で骨組みをつくり、竹を格子状に編んだ「竹小舞(たけこまい)」を組みます。そこに藁を混ぜた土を塗りつけ、乾かしてはまた塗る。何度も工程を重ね、厚い壁を築いていきます。
そして仕上げには、消石灰を主な原料とする「漆喰(しっくい)」を塗ります。
漆喰も土も、炎の燃料にはなりません。厚い土壁は、外からの猛烈な熱が内部へ伝わるのを遅らせます。
もちろん土蔵も火事に対して無敵ではありません。それでも、木造の建物を土と漆喰で包み込むことには、大きな意味がありました。
あの美しい白壁は、単なる飾りではありません。炎から中身を守るために、土を幾重にも塗り重ねた鎧(よろい)だったのです。
なぜ窓は小さく、扉は分厚いのか
土蔵をよく見ると、窓が小さいことに気づきます。
これは防火にも役立つ工夫です。火事のとき、建物を襲うのは炎だけではありません。風に乗って飛んでくる火の粉や、猛烈な熱風も脅威になります。
窓などの開口部が小さければ、それだけ火の粉が入り込む場所を減らせます。
そして、もうひとつの工夫が扉です。
土蔵には、土と漆喰で厚く塗り固めた扉があります。観音開きの蔵戸(土蔵によっては引き戸もあります)では、扉と枠の合わせ目を階段状に仕上げたものもあります。
これは「掛子塗り(かけごぬり)」と呼ばれる技法です。
扉を閉めると段差が互いにかみ合い、炎や煙が隙間から入り込むのを防ぐ仕組みになっています。
ただ頑丈な扉をつけたわけではありません。扉を閉めた、その先のことまで考えていたのです。
火事の日、扉の隙間に泥を塗る
しかも昔の人々は、土蔵の扉を閉めるだけでは満足しませんでした。
火事が迫ると、扉や窓の隙間に練った土を塗り込むことがありました。「目塗り(めぬり)」と呼ばれる防火対策です。
せっかく重い扉を閉めても、わずかな隙間から火が入っては困る。ならば、その隙間まで泥で塞いでしまおうというわけです。
この目塗りは、商家だけの工夫ではありませんでした。
江戸城には、歴代将軍の蔵書や幕府の重要な記録を収める「紅葉山文庫」がありました。
国立公文書館の解説によると、そこでは火災の多い冬に備え、毎年11月から翌年の4月、5月にかけて、書物蔵の窓を土で目塗りしていたといいます。
将軍の大切な書物を守るためにも、使われていたのは土でした。
火事への備えとして、泥を塗る。なんとも素朴な方法ですが、当時の人々にとっては、財産を守るための真剣な仕事だったのです。
建物の形をした金庫
土蔵の中に収められていたものは、家によってさまざまでした。米や商売の商品、着物、道具、帳簿など。生活や商売を支える大切なものが、あの分厚い壁の向こうに置かれていました。
現在なら、大切なものを守るために金庫を使うことができます。しかし、頑丈な鉄製金庫が広く使われるより前から、日本には土と漆喰で財産を守る方法がありました。
そう考えると、土蔵は建物の形をした、巨大な金庫だったともいえます。
今度どこかで白い土蔵を見かけたら、ぜひ、その小さな窓と分厚い扉に目を留めてみてください。
あの建物は、外の景色を眺めるためではなく、中にある大切なものを守るために建てられたのです。
参考資料
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