海で育った真珠は、なぜ神戸の山のふもとに集まったのか

真珠と聞いて、どんな風景を思い浮かべるでしょうか。おそらく多くの人が、波の静かな青い海や、筏(いかだ)が浮かぶ穏やかな入り江を想像するはずです。アコヤ貝の中で育まれる、文字通り「海が生んだ宝石」なのですから、それも当然でしょう。

ところが、日本を代表する真珠の加工・流通拠点として発展したのは、真珠の養殖場が広がる海辺ではありませんでした。

急な坂道が続き、異人館が立ち並ぶ神戸の北野町周辺。海で生まれた真珠は、なぜわざわざ山のふもとへと集まったのでしょうか。

そこには、港町ならではの歴史と、六甲山がもたらす意外な恵みがありました。

港の便利さだけではない理由

神戸が真珠の街になった理由として、まず挙げられるのが神戸港です。

日本の養殖真珠が世界へ輸出されるようになった時代、三重県や四国などの産地から真珠を集め、海外へ送り出すには、国際貿易港を持つ神戸はうってつけの場所でした。

1928年に真円真珠の特許が公開され、各地で養殖事業が広がると、神戸の真珠産業も大きく発展していきます。

しかし、ここでひとつ不思議なことがあります。

輸出が目的なら、港に近い場所に商人が集まってもよさそうなものです。それなのに、真珠の加工業者が集積したのは、港から坂を上った北野町周辺でした。

実は、真珠という宝石には、加工する場所の「光」がとても重要だったのです。

真珠の美しさを見抜く、六甲山の光

真珠をじっくり眺めると、ひと粒ずつ微妙に表情が違うことに気づきます。

ピンク、グリーン、シルバー、クリーム。わずかな色の違いや、「テリ」と呼ばれる独特の輝き。その違いを見極め、色や光沢、形、大きさなどをそろえて一本のネックレスに仕立てていきます。

この作業を「連組(れんぐみ)」といいます。

数十粒の真珠が、まるで最初から一本のネックレスになるために生まれてきたかのように、美しく並ぶ。そのそろい具合は「連相(れんそう)」と呼ばれ、真珠の品質を左右する大切な要素です。

これほど繊細な仕事では、光の当たり方によって色や輝きの見え方が変わることが問題になります。

職人たちが真珠を見極めるためには、強い直射日光よりも、柔らかく安定した自然光が役立ちます。

そして神戸の北野町には、そんな光を得やすい環境がありました。

神戸市の解説によると、六甲山に反射して北側から届く安定した光も、この一帯に真珠加工業が発展した理由のひとつだったといいます。

港の背後に山が迫る神戸ならではの地形が、真珠の美しさを見極める仕事を支えていたのです。

海で生まれた宝石を磨くために、山の光が役に立っていた。

なんとも神戸らしい話ではありませんか。

日本のアコヤ真珠から、世界の真珠へ

神戸の真珠産業を大きく育てたのは、日本で発展したアコヤ真珠の養殖でした。

三重や四国、九州などの海で育った真珠が神戸に集まり、職人たちの手で選別・加工され、海外へと送り出されていく。

しかし、時代が進むにつれて、神戸に集まる真珠は日本産だけではなくなりました。

オーストラリアで育った白蝶真珠。南太平洋の海で生まれた黒蝶真珠。世界各地で生産された真珠も、神戸の加工技術と国際取引の拠点を求めて集まるようになったのです。

さらに2003年度には、それまで香港で開催されていた海外産真珠の入札会が、神戸でも「国際保税展示入札会」として開かれるようになりました。

世界各地から真珠とバイヤーが集まり、国際的な取引が行われる。

かつて日本のアコヤ真珠を世界へ送り出していた街が、今度は世界の真珠を迎え入れ、取引する街にもなったのです。

海の宝石と、山の光

真珠を育てるのは海。しかし、その美しさを見極め、価値を高め、世界の市場へつなぐのは人の仕事です。

六甲山の光に恵まれた神戸には、その仕事を担う職人と商人が集まりました。

そして現在も、世界の海で育った真珠が神戸へ運ばれ、再び世界各地へと送り出されています。

今度、神戸の北野町を歩くことがあれば、坂道の先に広がる六甲山を少し眺めてみてください。

一粒の真珠の輝きの向こうには、海と山が間近に迫る神戸の風景と、この街が世界と結んできた長い歴史があるのです。


神戸の真珠産業と私たち

神戸貸金庫センターの関連グループ会社であるジェイ・ロジスティックサービス株式会社は、真珠をはじめとする貴重品の国際物流を専門としています。

神戸で開催される真珠の国際保税入札会でも、真珠の輸送や保税業務など、国際取引を支える実務を担っています。

こうした貴重品の取扱いで培った経験と安全管理の考え方は、神戸貸金庫センターの運営にも生かされています。

参考資料

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